土戸牧師からの挨拶


 「着実に育っている期待できる子供たち」という一文を記した。

 これを以下に記して牧師の挨拶としたい。

 教会に二つの広い芝生の庭がある。モクレン科の常緑高木で高さ約10メートル近い(たいさんぼく)が中央にある「光の子の庭」と名付けられている。登園する園児のために、その入り口に「光の子たちの道」と日本語とギリシャ語で書かれたボード(標識板)を付けた小さい門がある。このギリシャ語は原典ギリシア語聖書からの引用である。週日は通園の園児が、日曜日は教会学校の生徒が、楽しそうに出入りしている。立派な公園の一部の感がある。

 京都に「哲学の道」と名付けられた自然の豊かな瞑想の道(ホドス)がある。世界的思想家と学者を多く輩出した大学を有する古都に相応しい。

 キリスト教会は、キリスト教信仰をもって、教育・芸術・学術・科学技術経済・産業界などの各界で活躍する多くの人材を世に送り出す「務め(ミニストリー)」を担うことが期待されている。期待する主体は主イエス・キリストにおいて啓示された神である。時の為政者や文部官僚や特定のイデオロギーの支配下に立つ教師集団の期待に応えることではない。これを取り違えてはならない。むしろ、その類いの者の期待の内容に対して批判的に関わる叡智と判断が、キリスト者には求められている。「光の子たちの道」を行き来する「めぐみ教会」と「めぐみ幼稚園」の子供たちの将来に大きな期待の
込められた庭である。

 その「光の子の庭」のレベルから、18mの高台に、二番目の芝生の広場が完成した。2003年の秋から子供たちの歓声で賑やかとなった。東京湾と海岸沿いの東海道の美しさを眺望する江戸時代から明治時代に栄えた料亭「あけぼの楼」の史跡を偲び「あけぼのの庭」と名付けた。その庭は、元気に走り回ったりサッカーやドッチボールでにぎわう場であると同時に、園児がバッタや昆虫と共存し、小さい生物の命の大切さと自然に優しい心をも培う場所となった。大都会には稀な自然環境を有する教会と幼児教育機関と言えよう。一昨日、区の教育行政担当者が視察に訪れた折りにも、この環境の素晴しさに驚いていた。

 テレビと新聞は連日、小・中・高生徒による犯罪行為を報道している。オトナも同様である倫理道徳の危機(モラル・ハザード)の時代の到来である。これに、誰も歯止めがかけられない状況である。犯罪行為は、コドモだけではなく、親や教師も同類なのである。学校と家庭でオトナが「悪しき手本」を戦後の58年間、示し続けてきたその結果が、これなのである。

 この少子化の時代に、日曜日には、150名近い教会学校生徒が、週日には200名におよぶ園児が集う。ヒトを人間とする規範を示す「真の手本」である聖書に基づく教会と幼稚園の教育が期待されていると言えよう。

土戸清著『人間性の崩壊を救うものー現代の教育と宗教の役割ー』
(教文館 2005年8月初版 72-73頁参照)